うなぎのねどこ

かきこみぐちぐち

きまりごと

以前ブログだったかtwitterだったかで書いたことはあるのだけど、こちらにも記録しておく。

法律、ルール、マナー、験…等々、呼び名はたくさんあるけど、要するに皆で行動を同じくしようねと決めた事柄。きまりごと。いやそれだけではない、言語、文化だってきまりごとだよね。
こういったきまりごとがいったい何のためにあるかというと、生活するための(生きるための)コストを下げるためにあるわけだ。

前に書いたときにはきまりごとは対人に対するコスト低減のためと書いたけど、験もきまりごとに含めるなら対人だけでなく、外側にあるもの全てにかかわる生活コストを下げるためにあるのだろう。

そうだ、ここでのコスト定義をしておかないとダメだね。
ここでのコストとは頭の中で考える量のこと。
生きるために頭を使わなければいけない量。

そして、そのコストは長期間の総量でなく、比較的短期間内での総量での話し。
まぁ千差万別なにが起こるかわからないし予測も不可能な環境において、長期間の予測が役に立つはずも無く、自然と短期間内でのコストしか考えなくなるのは自然だと思う。

きまりごとはコストを下げるためにある。
たとえば「他人を殺してはいけない」というきまりごと。現代日本だと絶対に侵してはならないし、あまりにも高じてしまって少しでも可能性のあるものは徹底的に排除する風潮まで出来てしまっている。
このきまりごとだって、それを行うことによって自分の身に危険が及ぼす可能性が無い(もしくは少ない)環境下においては、きまりごととしては存在しないと思う。

他人を殺したからといって自分が殺される心配の無い場合、さらに殺した者がいなくなって分業作業の集約が発生しもコストが増大しない場合。あ、この場合のコストのみ頭だけでないかもしれない…
こういった特殊環境では他人が存在することそのものがコスト増大につながるわけで、他人を殺害した方がコストが低減されるのだから、さっさと他人を殺した方が良くなるわけだ。
当てはまらないかもしれないけど、死刑制度なんかはこの特殊環境に近いものがあるに違いない。

実際の世界で「他人を殺してはいけない」というきまりごとが存在していなかったら、それこそ物騒すぎて外にも出れない。コスト激増である。
であるからそのコストを激減するために「他人を殺してはいけない」というきまりごとが存在しているのである。

きまりごとはコスト低減のためにあるから、きまりごとの有効期限は有限だし、どのきまりごとを採用するかは各個異なる。