うなぎのねどこ

かきこみぐちぐち

コミュ力

あたしゃはっきり言ってコミュ力ないのであります。まぁブログやTwitterの有様を見れば一目瞭然ですな。
その状態が何か問題かというと、これがちっとも問題でなく楽しく飽きない日々を送っているのが、これまた最大に問題だったりするんですが……

さて、以前録画して見ていなかったNHKスペシャルの「ヒューマン なぜ人間になれたのか」http://www.nhk.or.jp/special/onair/human.html の4回目を見たのですけれど…
そこでお金は信用力であるといっていたわけですよ。

人間とチンパンジーの差は他を信用するかしないかにあると。
人間は他を信用することによって、物を交換することが出来るようになったと。
物が交換できることで専業が可能となり、生産性が上がったと。
そして物々交換であったのが、小麦・米・塩等を媒介とした交換になり、交換の自由が高まったのでさらに専業化と生産性が高まったと。
さらに媒介が貨幣となることによって、富の半永久的な蓄積が可能になりったと。
最終的には貨幣自身に信用力が帯び、より簡易に生産の出来る紙幣となることによって、更なる富が生まれてきた。
そして、貨幣(紙幣)に信用力が帯びることによって、人は共同体という括りから解放されるようになったと。

お金を持っているということは、信用力を持っていることで、信用力を持っているから個として生きられる。

これって、お金をコミュ力に置き換えてもそのまま通るのじゃないかな? と思ったわけだ。

コミュ力を持っているということは、信用力を持っていることで、信用力を持っているから個として生きられる。

近頃コミュ力尊重の雰囲気が高まってきていて、わたしゃもそれに煽られてあたふたしている部分もあるのだけど、ネットの進歩によってブログやSNSが隆盛して、可視化(認知化)されるようになったからかな?と思ってたけど、要するには信用力を高めた方が生活しやすいですよということって過ぎないわけだ。

穿った見方をするのなら、以前は金儲けがしやすかったので信用力を得るためは金儲けが効率が良かったのだけど、最近は金回りが良くないためにコミュ力が重視されるようになってきたというわけだね。